1949年1月7日大阪府生まれ。73年に総合経営株式会社に入社、日本初の会員制ホテル事業ダイヤモンドクラブを立ち上げた会社で、当時、最年少の取締役に就任。ホテル、ゴルフ場、画廊、旅行、飲食店の経営にて携わりながら多業種の経営を学ぶ。
87年、地域の要請を受け退職し枚方市議会議員に立候補し2期務め、枚方市とオーストラリアローガン市との友好都市締結、コミュニティー放送「FMひらかた」の開局、古紙回収助成制度の創設等を実現させる。95年1月の阪神淡路大震災では、被災地に3度にわたり支援活動、救援物資を大型トラック10台分届ける。
同年4月から大阪府議会議員。連続4期務め公明党府議団幹事長、政調会長を各2期務めた。102代副議長(08年)の時は、議員歳費・政務調査費を各15%削減、都道府県初の費用弁償・議長交際費を全廃し議会改革を推進。また、府出資法人92法人(95年)から46法人に削減し府OB役員退職金全廃。府庁舎自動販売機公募制度を提言し3億円の増収効果を得るなど行財政改革に尽力。
府議会の日米、日華、日韓友好親善議員連盟の副会長を務め国際的な交流を推進。第2京阪道路建設推進議員連盟事務局長、中之島新線西大阪延伸線問題協議会副会長を歴任し大阪の基盤づくりにも尽力した。
地元枚方市では、狭隘な枚方警察署を二分署化し交野警察署設置、津田サイエンスヒルズに府立高等職業技術専門校を誘致、府立楽寿荘と枚方西高校跡地を枚方市立村野中と等価交換を提案し府立小中高特別支援校を誘致。淀川の水運復活を提言するなど貢献した。
著書は、「1年生議員・みなさんアノネ!」 、「12年目の履歴書」、「議会のホンネ!一筆啓上!!」。
議員勇退後、大阪工業大学校友会枚方支部長はじめとする地域活動の他、現在は、大阪府日華友好交流協会会長、(公社)大阪府建築士会相談役、(一社)大阪ビルメンテナンス協会政治連盟顧問、学校法人常翔学園顧問、常翔学園北河内5支部協議会会長、関西敦賀交流会副会長、大阪府立精神医療センター乃ぎく会顧問、津田サイエンスヒルズまちづくり協議会顧問の他、多くの企業の社外役員・顧問を務めている。所属団体は、大阪倶楽部、大阪日米協会、北大阪商工会議所。